2010年12月31日(金)

遠い未来にあなたとまた出会う。


2010年12月26日(日)

聞かれてもまともに答えないよ。


2010年07月06日(火)

アルタイルなあなたへ。


2010年01月01日(金)

くちびるに歌を。


2009年08月26日(水)

拝啓、父上様。


2009年07月07日(火)

星の逢引。


2009年07月04日(土)

まだ続くんだから。


続き。
ここは知り合いも読んでいるので
詳しい事は書きませんが。

二日連続、ある出来事で、
それがあまりにも苦痛だった
ってことだけ記しておこう。

なんか先週も全く同じことがあって、
せっかく心が温まったのに、
フリーズしたんだったよ、私。

人との繋がりを断つことは案外容易だけど、
続ける事の難しさと喜びを知っているから、
悪い面を知ったあとは良い面を思い出さないと
どうにも感情の行き場がなくなる。


「正義」だと思った事が他人とって正義とは限らない。
「誠実」だと思った事が他人にとって誠実とは限らない。


自分が●●だと思った事が、他人にとって▲▲だとは限らない。
自分の思考が止まってしまったときに当てはめてみる。
その意味は。
みんな「自分が正しい」と思う基準で動いているから。

振り返ってみると、思いのほか
大きな喧嘩より些細な出来事に傷ついている。

例えば、
100円を貸したのに返してくれなかった とか
挨拶したのに返してくれなかった とか
みんなが降りるまでエレベータのボタンを押してあげてたのに
何も言わずに降りて行った
 とか
そんな日常の出来事。

バーンっと派手にやった喧嘩より、
地味に不愉快な思いが残りませんか?

自分が良しとしてやったことに対する他人からの
リアクションが期待通りじゃなかった。
でも、もしかしたら
100円くらい返さなくていいだろう とか
朝の挨拶なんてかったるいからして欲しくない とか
ボタン押しててくださいなんて頼んでないし
とか相手は思ってるのかもしれない。
もしくは、そこまで気にしてない・忘れてるだけかもしれない。

特に身近な人間には、
期待していることと違うことをされると
憎んだり幻滅したりしがちだけれど、
好きがなければ嫌いもないのだし、
悪がなければ正義もない。

両方を理解することで、他人を知って
自分を知ることができる気がするよ。

なんて言っておきながらも、
感情はやっぱり捨てられない。

好き→嫌い→好き→嫌い を繰り返して続いてくこともあれば
好き→嫌い→嫌い→嫌い で止まってしまうこともある。

無意識にフィルタリングして
スクリーニングしているのが、
今、あなたの、わたしの周りにいる人★
No.2361 ここにいないあなたへ。 天使

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