2005年04月05日(火)

昔から知ってる人みたい。



愛の話 幸福の話

「春なのにぃぃぃ〜お別れですかぁぁぁ〜春なのにぃ〜涙がこぼれます〜」
(これ知ってる人は同じ年齢層だな)

4月も始まったことだし、今日は「出会い」について書きます。
(まあ、4月じゃなくても出会いや別れはあるけどね。)

人との出会いは「運命か」「宿命か」。
そのあたりは、美輪明宏先生の本でも読んでいただくとして。
出会いについて...と言っても範囲が広過ぎるので「出会いの極意」にしよう。
(それも範囲が広いんじゃねーか!?なんて突っ込みはヤメテ 笑)

出会っても、仲良くなる人とそうならない人がいますね。
なぜでしょう?人によって、理由は様々でしょうね。
わたしの場合は、その人への興味が、仲良くなりたい!という気持ちとなって、
話をしてみたい!

話をしてみる!遊んでもみる

いつのまにか仲良くなる。(いつのまにか呑んでる)

となるわけですが、話をしてみる!の時点で興味が失せる人がほとんどです。
そういう時って、たぶん相手もそうなんじゃないかなあと思う。
だって、話が盛り上がらないんだもの。

出会ってからの期間は関係なく「昔から知ってる人みたい」という人、いるでしょ?
それっていうのは、感覚的なもので言葉にするのは難しい。
でも、敢えて言うなら、きっと
 ・どんな自分も理解をしようとする人
 ・間違っても、諦めないで見守ってる人
 ・自分の存在を認めてくれる人
のことだと思うんだ。
どれも同じような意味を含めているけれど、結局「理解する・見守る・認める」っていうところで違って来るんだと思う。
 ・理解する→ありのままのその人を知る
 ・見守る→無視しないけど邪魔しない
 ・認める→気持ちを受け止める
表面的なものじゃないもの。
頭じゃなくて、心でそう思わないと通じないもの

そういったものを相手から感じると、人は心を開きます。
そういう人間を、手離したくなくなります。

かといって、自分の性格とかキャラクターをムリに変えるのは良くありません。
そんで、人間が突然変わると逆に気味悪がられるので、変わりたいなら徐々にしましょう。
だから一朝一夕にそういう人間になろうと思っても、無理なものはムリということダナ。
だから、
「がんばらないで、自分の感覚に近い人と付き合う」
これが私の出会いの極意です(笑)
(どこが極意なんじゃっ!!と突っ込むのはヤメテくれ 笑)

4/6 追加
過去の日記(2000/09/30 (土) 秋が背中を触れゆく日。)にも、同じようなことを書いていたことが発覚!!あ〜やだやだ☆彡
No.51 ちぐはぐな感じ。 天使